ランはめったに怒りません。
一度ガスの点検員に軽く噛み付こうとしたことがありましたが
その他で、誰かにあからさまな敵意を表したことはありません。

 

犬は怒ると歯をむきます。
ハナの頭にシワを寄せ、歯を見せ相手を威嚇します。
ランにはそのハナの上を寄せる筋肉が欠落していたようです。
今だかつて彼女のハナの皮が縮んだのを見たことはありません。
一度大好きなトン骨を与えた時のことです。
トン骨とは肉売り場でたまにみかけるブタの骨。とにかくこれには目がありませんでした。
犬の骨好きはまさにこのことなのですね。
私が与えた骨に手をのばした時、骨をくわえたランの鼻もとから「うー」と唸り声がかすかに聞こえました。
一瞬でしたが、それが私がランの敵意を垣間見た 最初で最後の機会であろうと思います。今はもうおばあちゃんだから怒ることは更にありえないでしょう。

柴犬よりやや大きいくらいのランには豚の骨は大きいので一度には食べられません。
そういうときワンチャンのやることは決まっております。
ランの場合は骨をくわえ、鼻をならしながら骨を埋める場所を捜します。
鎖で繋がれた状態で埋められる場所は限られています。
それが頼り無いのでしょうか、どこに埋めようか困ったように鼻を「ぴーぴー」と鳴らしながら犬小屋の周りをウロウロウロ。

やっとしぶしぶ決めた場所に埋めます。
でもしばらくたつと、その場所が不安になってしまうらしく、また掘り起こすと、またぴーぴーいいながらウロウロするのです。

そんな風に何度も掘っては埋め直しをくり返すから、埋めるときに使う鼻の頭の皮がむけてとても痛々しいのです。

骨をあげると、ランの切ない鼻音を一晩に何度か聞くことになります。
私たちがこっそり覗いて埋めているところを目撃しようものなら
また埋める場所を変えねばならず、ランはますます困るし、
鼻の頭もすり減るので、皆覗かないようにして
夜の庭で小さく聞こえる鼻音に耳をすますのです。

 

「ラン困ってるね。」

「うん困ってる。」

 

次へ