2003年8月

ヒロシマセレモニーと霧のトウモロコシ畑

 

奥さんの友人の方が隣町の公園で広島の原爆投下の日に催される小さなセレモニーのボランティアとして参加するということで、そこに誘ってもらった私は、家から数キロ離れたその公園まで、奥さんとご主人、彼らの甥っ子のジェシーの4人で自家用馬車で行くことになりました。(馬車馬の名前をどうしても思い出せないのが癪。しかもその馬に私は前足でどつかれたこともある。)近くの町のその公園までは1時間弱ほどの道のりでした。そのあたりはほとんどがとうもろこし畑で、とうもろこし独特の匂いが湿気の多い空気に強く漂っていました。、あのクイーンアンのレースが道路沿いを埋めていました。
ヒロシマセレモニーでは公園内にある池に子供たちが手作りの灯篭を浮かべるというイベントでした。
最初にボランティアの女性がそのセレモニーの意味を説明し、反戦の言葉を述べました。
灯篭は岸から遠くに浮かべると回収できなくなるので、なるべく岸の近くに寄せておくようにということでしたが、いくつかの灯篭が池の中ごろまで流れてしまい、ただの見物に来たはずのご主人が藻でドロドロの池に腰まで使って回収するはめになりました。男性人でただ一人志願してくれたご主人、さすが、ご主人。遊び盛りのジェシーも理由もなしに下半身ビショビショであとになって参っていました。

灯篭を回収し終わって、式もお開きとなり、暗い中を家路につきました。あたりにはすっかり霧が立ち込めていました。
馬車には方向指示器もあれば、もちろんライトも付いています。しかし、バッテリーの残りが少なく、車通りの多い道路を抜けたところでライトを消しました。私がライトを消して、危なくないのか尋ねると、馬は暗闇でもよく見えるし、何度か通った道はちゃんと記憶していると教えてくれました。試しにご主人が手綱をゆるめたままにしておくと、馬はしっかり曲がるべき道を右折していきました。 昔は御者が酔っ払って眠ってしまっても、馬が勝手に自宅まで送り届けてくれたものだといいます。昔は酔っ払い運転も呑気にできたんだ。古きよき時代にあらためて感心しました。
甥っ子のジェシーはすっかりくたびれて、奥さんのひざ枕で眠っていました。霧の深い夜の道路に響く蹄の音は、言い知れぬ感動を私に与えてくれました。機械に頼りきらない日々の作業の積み重ねがこの蹄の音を生んでいる、この美しい夜のドライブを実現させている。
トウモロコシ畑は霧の海に覆われ、月明かりがその不思議な光景を照らし出していました。ところどころに顔を出している雑木林はまるで海原に浮かぶ島々のようでした。

2年もの月日を海外で過ごしたあとに、私は何も上達できず、何も特別なスキルを身につけられなれなかったことに落胆ばかりしていました。私は目に見えるものが欲しかった。何にも満足できない傲慢さがいまいましくても、自分を変えることができない。収穫の乏しかったと思われる過去を振り返るのは億劫です。
しかしこうして何度も美しい風景に出会っていたことを日記をつづることで思い出し、またいろんなものに興味を持って、感動を持って向き合いたいと思い始めました。