2003年8月

悲劇



しかし、隔離用に使用していたストールの柵を飛び越える試みを覚えたイブは翌日はさらにその挑戦を熱心に試みるようになってしまっていました。日々成長して力をつけるイブにベビーシッターをつけるのはやや危険かと思ったのか、その日は馬がいつも繋がれて餌を与えられるストールにイブを繋いで母馬が戻るまで置き去りにするということになりました。その日もCSAの日でお客さんが野菜を取りに出入りしていました。ベビーシッターを免れたものの、ほかの仕事をもらいはぐれ一人残された私は、イブの嘶きやストールを蹴り飛ばし暴れている音を痛々しく感じながら、ほかの人が仕事から戻ってくるまでの間、些細なブルーベリーピッキングをしていました。いわば暇つぶし的な作業です。はじめのうちはときどきイブの様子を見に行っていたものの、人の出入りが彼女を興奮させることがわかっていたたため、私はイブの訪問を控えました。私が自粛していても、お客さんたちがイブの繋がれたストールを訪れるたびにイブは暴れ、緊張と不安にさいなまれることになりました。ブッシュのブルーベリーを一通りつみ終えた私が家の中に戻ると、奥さんが戻ってきていました。そこへ間もなくCSAのお客さんが家の扉をノックしてやってきました。
納屋の子馬の様子が変だというのです。今まで子馬があんな姿をしているのを見たことがないと言いました。
慌てて納屋のストールに奥さんが駆けつけました。私はなんだか恐ろしくて、ストールの入り口に立ち尽くしていました。奥さんの反応でただ事ではないことがわかり、私もストールの中をのぞきました。イブは繋がれていたロープにがんじがらめにになって窒息死していました。汗でぐっしょりのイブの体からは体温を感じましたが、呼吸をつかさどる鼻や口元はすでに冷たくなっており、呼吸停止後しばらく時間がたっていることが感じられました。
私はその日の午前中、一度イブがロープに絡まりかけたのをエイヴァの助けを借りて解いていました。そのときに十分危ないと感じていたのに、その危険性や予防策を英語でうまく説明できず、その最悪のチャンスを避ける機会を作れずに終わってしまったのです。今思うとイブが死んだのは何でも消極的で、すぐにひっこんでしまった私の責任でした。自分はあくまでアマチュアだから、何年も同じことを経験しているプロの彼らに何か提案するのはおこがましいと思いました。しかし、例年同じことを繰り返していようと、子馬は生き物、個性があり、ときには他と同じ対応では済まない場合があるのです。
私は臆病なイブになんとか慣れてもらおうと、放牧されているイブたちに毎日会いにいっていました。イブはなかなか私が近づくのを許してくれませんでした。しかし、数日前、放牧地に母とともに放されていたイブに会いに行ったとき、イブは私にとてもリラックスしていました。最初はゆっくり私に近づき、それから急いで母の元にかけもどりました。私に体を触らせて安心したイブは、徐々に私を追うようになりました。母から離れすぎたことに気づくと、あわてて母の元まで駆け戻ったあと、また私のところまで駆けてきました。次に母の元に戻るときのイブはまるで「ねぇママ見て見て、私変なのと遊んでるの。」とはしゃいでるようです。それはシャイな子がおそるおそる友達を作って自信をつけていく過程でした。初めて私の目の前で子供らしく嬉しそうに跳ね回るイブを見て私もとても嬉しかった。
そのイブが今冷たい塊になってしまっていました。小さな鼻面から温かい呼吸はなく、長い睫の下に中途半端に開いた目が濡れていました。