2003年6月

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6月28日
一難去ってまた一難

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さて、例の災難が実はたて続けに小さな子馬の身にふりかかりました。
子馬の傷が癒えたころ、また親子ををスタリオンのいるフィールドに送り込んだのです。そこにいたるまである過程があり、再度の試みにいたったのですが、子馬は新たな傷を負うはめになり、またしてもその大襲撃を見事生き抜きました。時に動物の命はとても儚く、私たちはなすすべもなく命の灯が消えるのを見守るだけということが少なくありません。ましてや、平均的サイズより一回りも小さな子馬が。この小さな子馬の生命力に驚きました。


小さなフーラはママのお腹の下にすっかり収まってしまいました

大打撃のあとの後遺症の心配も消える数日後の夕方です。
いつものようにフーラとその母インギに干草を与えていました。子馬の主食はまだ母乳ですが、1〜2週間目くらいから子馬は母馬に習い、干草を食みはじめましす。
ふと頭をあげたフーラの鼻から緑色の液体がながれています。いったいフーラに何が起こったのでしょうか?
母馬から母乳を飲むフーラ、しかし「けほっ」と小さな咳をするたびに飲んだ母乳が鼻から流れ出てしまいます。
大事ととったジュディーは獣医さんを呼びました。やってきた獣医さんはフーラの状況から、フーラが喉に何か木片のようなものをつまらせたのではないかと診断しました。
子牛の診療になれていたその獣医さんは子牛に似たようなケースをたくさん見ていました。
喉につまっているであろうものを吐き出させるか、つっかえているものの向きを変えて水で流すかするということで、母馬から隔離した子馬に麻酔を打ちました。すぐにフーラはうとうとしはじめて、医者の言うとおりの体勢にさせるべく、小さなフーラを3人がかりで押さえこみました。隣の囲いでは子馬と離された挙句、何かの異変をかんじとっている母馬は狂わんばかりの嘶きをあげ、今に子馬と母馬を仕切っている柵にとびかからんばかりです、もしそんなことがあれば、母馬が怪我を負います。
飲料水用の浅タライを逆さにしたところにフーラの胴体を乗せ、首から上を一人がささえ、一人は胴体を動かないように押えます。私の役目は喉の障害物を流すために送り込む水のチューブと水の袋を持つ役目でした。
夏の夕方、ぷゆーんと蚊の羽音が聞こえ始めました。獣医さんは作業に取り掛かる前に、全身に思う存分虫除けスプレーを吹きつけました。カナダに来てからというもの、虫除けスプレーは私にとって必需品でした。カナダの蚊に対する免疫のない私は、蚊に刺されると痛みを伴う痒みが数日続くのです。そのときの私にとっては子馬の措置より虫除けスプレーの方が重要でした。しかし!とても虫除けを吹きかけに戻りたいと言い出せる状況ではありません。彼らにとっては目に入れても痛くない最愛の子馬がたいへんな状況にあるのです。あっという間に私の両手は水用の袋とチューブにふさがれ、蚊を追い払う自由すら奪われてしまったのです。
獣医さんの命令で水の流れるチューブを開けたり閉めたりします。
「流して! 止めて!!」
緊張しながら命令に従う私の腕に一匹、また一匹と黒い物体が止まっていきます。
数十分後には信じられないほどの蚊が私の腕を覆っていました。
他の二人の腕にも蚊が止まっていましたが、彼らにはまだ蚊を追い払う自由がありました。
追われた蚊は皆私の腕に非難してきます。
いくら、措置を試みても一向に効果が得られず、あせる獣医さん。
この獣医さん、実は馬の診療はほとんど経験がなく、いよいよ自分の診断と措置への自信に揺らぎが生じてきたようです。
うとうとして本格的に眠ってしまいそうなフーラ。眠ってしまっては飲み込ませることも吐き出させることも困難になります。
「ほらロバ公、起きろ!」と獣医さんは焦りながらフーラをビシビシ叩きます。
ああ、なんとたいへんな立場の獣医さん、究極に子馬を溺愛する主人の目の前で効果を得られずに追い込まれていく、、ああ、獣医さんでなくてよかった!!
なんてことを考えつつも、
両腕を覆う蚊に獣医さん以上にテンション高めの私です。
鼻からの水の注入に効果がなく、次はぶっとい筒をフーラの口に押し込んでそこからまた水を流し込みます、けほけほっといたいけな咳とともに水を吐き出すフーラ。背後では子馬の咳の音に過剰に反応する母馬の大きな嘶きと激しく動き回る蹄の音、冷や冷やものです。そして私の腕を覆う蚊。蚊。蚊。

数時間にわたる措置のあと、結局獣医さんは問題になっているであろう代物を摘出することができず、かなり深刻あきらめモードでした。ジュディの嘆き方からするとフーラに助かる見込みはないようです。私は英語がまるまるわかるわけではありませんが、まだ獣医さんは殺すか死ぬのを待つかというような発言はしていないと聞き取っていました。なんだか病院を紹介している雰囲気です。なんとか自然に治ってくれればいいのに、この心配が嘘のように。。。私は祈りました。
獣医さんが帰った後、その夜ジュディは母馬と子馬を入れた囲いの横に自分の床を作りました。
私は囲いの近くのトレーラーに寝泊りしていました。トレーラーに戻ってからも、ときどき子馬の小さな咳の音が耳に届きました。翌朝になっても、フーラの状況は変わりませんでした。鼻からは相変わらず飲んだ母乳が全部流れ出ていました。獣医さんはここから数十マイル離れたところにある大きな動物病院をジュディに紹介していました。ジュディはフーラと母馬を馬運車に乗せて病院に運んでいきました。

さて、私の両腕はといいますと、ボコボコに腫れ上がって、痒いのと痛いの。その上熱を持って、熱いのです。付ける薬もなく、冷凍庫にあった冷凍グリンピースの袋で腕を交互に冷やしました。私の赤いニガウリのようになってしまった両腕に注意を払ってくれる人は誰もいませんでした。

 


さて、「トレイラーっていったい何??いったいどんなところに寝泊りしてたの?」という方のために。トレイラーとはキャンピングカーのことで、北米では各家一台といっていい具合によく見られます。
私が選ぶ「カナダで最も美しくないもの」のひとつです。しかしながら、これらはRV,レクリエイション車と言われ、幸福な家族生活を促すものなのです。