2010年12月24日

工夫貧乏


昔「工夫貧乏のシアワセ」という本を読んだことがあった。
本の内容は安価な材料で生活の不便を解消するための道具を作る筆者のお父さんの話。
見た目が貧乏臭い上にあまり役に立たない便利グッズを制作するお父さんに、私は我が父と通ずるものを感じていた。
ありあわせの材料で「ちょっと便利」を作る。
だけど「ちょっと便利」って、工夫した本人以外はあまり感じることができない。
我が家を例にあげると、「ほら、ずっとよくなっただろう!」と誇らし気に成果を披露する父に対し、母と私は父の改善に感心したことはあまりなかった。母と私はその「ちょっと便利」より、そこになくてもいい板や、色味の不自然な物体が増えた事にがっかりする気持ちの方が大きかったのだ。
そんな話を他人事として読んでいたのに・・・

現在我が家では物置き小屋を建てている最中なのだが、合板や木材の切れ端がたくさん出てくる。
小さな端材で作れるものをチョコチョコ作ってみるのだが、これらがすべて貧乏臭く、不器用な人間が作った独特の危うさと醜さを漂わせている。
茄子が入っていた木箱に扉をつけて「ゴム長靴収納箱」を作った。灯油の給油がしやすいように「灯油缶台」を作った。棚の中にまた小さな棚を組み込んで皿の収納能力アップを計る等。
まさにあの工夫貧乏の本に出てきたおじさんを彷佛とさせる物を作っている。
そうして我が父が家族にアピールしたように「見て見て。灯油が今までより入れやすくなったんだよ。」
とYちゃんにアピールするのだが、やはり工夫貧乏当事者でないYちゃんはその効果に全く無感動なのだった・・・

ゴム長靴収納箱と灯油タンク台。