2006年3月

競馬狂いの効用

 

先日大学時代の友人が出張で東京へ来て、一緒に夕ご飯を食べました。
大学を卒業して働き始めて、私が首までどっぷり競馬に漬かっていた頃、その子も競馬が好きでした。食事をしながら、もう競馬をやらないの?と聞かれて、私はしないと応えました。
競馬がすっかりつまらなく思えるからではなく、またはじめたら夢中になれると思うから敢えてしないのです。毎日週末のレースのことが気になって仕方がなくなる。金曜や土曜は夜が明けるまで考えあぐねてしまうから。そんなことしていたら、不器用な私の人生は馬柱を眺めているだけで終わってしまいそうでいかんと思ったのです。
岩手でトキオパーフェクトがまだ走ってるんだよ。とその子は教えてくれました。
そんなかつての中央競馬の馬の名前は、私にとって中学校や高校時代のどんな思い出よりも懐かしく響きました。

競馬によって私の人生は狂うはずだったのに、やはり予測や希望は裏切られました。
だからといって、人生を左右する重要なポイントになりえなかった競馬に狂った数年間は無意味だったと思いたくはありません。
毎週思い通りにならなかったレース結果に落胆しつづけたことは、とらえどころのない人生とか運命とかいうものについて考える練習ドリルのようなものだったと思いたい。たくさんの要素のつまった競馬はいろんな人生を例えて見せて私の価値観を広げてくれたように思うのです。

初めて描いた馬の肖像画らしき絵。胴体と首の色が違うんだなぁ。(Nさんごめんなさい。)
いつかもっと渋く描いて、部屋にちゃっかり飾って金持ち気分を味わうのが野望。