2005年11月

エコロジー父とイヌバコ冬仕様



私の父は物を捨てない、物を大事にする偉い人です。
だけど、だけど・・・現代の消費社会に慣れ浸っている私には、その父のゴミ拾い癖を尊敬のまなざしで見守ることができずにいます。
我が家はいわばガラクタだらけです。私はかつてガラクタを増やすスペシャリスト、消費社会の申し子でした。心を入れ替えることにした私は増やしてしまったガラクタを)バンバン捨てることにしました。が、しかし。私が分別した不要品の袋は、その後必ず父の選別にかけられるのです。父の選別にかかると、半分以上の「ゴミ」が救出されてしまうのです。ゴミが全然減っていないのです・・・とにかくどんなにぼろくとも、壊れていようとも、父にかかれば「まだ使える」「何かに使える」と避けられてしまうのです。
捨てなきゃ物は増える一方、我が家が雑然としているのは余計な物を皆取って置くからなのです。

コタツの下掛けに使っていたツギアテだらけで色あせた推定年齢30歳の毛布がありました。
ある日、母がゴミに出したはずのそのボロ毛布が、またしても父によって小屋の隅に避難させられているのを発見してしまいました。
「クソオヤジ!!!」(失礼)
そうだ!どんなにもったいなくとも、アー二ー様に木っ端微塵にしてもらえば父もあきらめよう。

何でも木っ端微塵にしてしまうアー二ー様です。
10月、陽気もだいぶ涼しくなってまいりました。
硬い木製の犬バコだけでは寒かろうと、アー二ー様にこの貧乏臭い毛布の温かさを試していただくことにしました。犬バコの上に広げられた毛布の上にさっそく寝そべって感触を確かめると、
「ふぅ・・・・」
大満足のため息を漏らされました。
「朝になれば、あのぼろ毛布もズタズタよ・・・」
私はほくそえみながら寝床に上がりました。
翌朝、例の毛布がどうなっているかワクワクしながら確かめに行ってみると、
ななな、なんと、毛布がきっちりそのまま残っているではありませんか!
アー二ーが毛布を「壊さずに愛用する」ことを覚えたのです。
これで彼も寒い冬を快適に過ごせることでしょう。わが子の精神的成長はとても悦ばしいことでした。
が、しかし、アー二ー専用毛布となった問題のボロ毛布の置き場所は、以前の人目につかないところから、玄関先という一番目立つ場所になってしまいました。なんてこった・・・

「この毛布が無事だったということで、センスのいい大型犬用のクッションを買わなきゃね♪」
という両親への私の提案は現在も無視され続けています。



この水玉と牡丹という意味不明な柄のボロ毛布、ある意味ダサ可愛かったりするかも。
と自分に言い聞かせています。
空になった皿を隣に置いて、満足感ゆえか食後の放心状態に陥るアー二ー